Posts Tagged ‘#愛’

夢の実現ため想いあうピュアな愛と努力の素晴らしさ「ラ・ラ・ランド」

皆様こんばんは!休日の夕方のひとときに



ユナイテッド・シネマ豊橋18で「ラ・ラ・ランド」を見て来ました。



★第89回アカデミー賞® 監督賞(デイミアン・チャゼル)、主演女優賞(エマ・ストーン)含む6部門受賞した話題の映画です。
ユナイテッド・シネマ豊橋18 上映作品

理想を追うジャズピアニストのセブと女優を夢見るミアの 恋と夢の行方は~
二人のピユアな想いが胸を打ちます。



音楽もダンスも素晴らしく、背景のロサンゼルスの景色も夢のような美しさです。



映像や音響に優れたIMAXデジタルシアターで見られて良かったです。
皆様も良かったら、ぜひご覧くださいね。

ゆりこ

大きな父の愛☆七回忌を終えて

実家の父の七回忌が終わりました。

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親族だけの内輪な集まりでしたが、心の籠った良い法要ができました。
姪の夫や私の長男、次女夫婦は仕事で来られませんでしたが、先日の松本の母の七回忌の時、実家の仏壇にもお参りしてくれたので良かったです。

自由を愛し明るく楽しい性格だった父は、晩年まで友人に恵まれました。
三歳で母を亡くし、戦争で苦労し、中小企業の経営でも大変なこともあったと思いますが、自分で選んだ道を歩んで行けたので、幸せな人生だったと思います。

そんな元気な父も私の夫が亡くなった時は、ショックだったようでした。

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「おまえがやりなさい。日之出の中興の祖となるのだ。」と、社長になることを力強く勧めたので、私も一念奮起したのですが、当時の日記からは心配の様子がうかがえました。

社長になってからは、たびたび実家に行き、経営のことを相談していました。
娘には甘かった父ですが、経営者になってからはとても厳しくて、褒めてもらうことはほとんどありませんでしたが、経験の無かった私にとって、父はほんとうに頼りになりました。
経営も軌道に乗り、父の身体も衰えていくにしたがい、あまり相談しなくなっていましたが、亡くなる数日前、自分が信頼できる全国の経営者の方々を頼るようにと、お名前をメモさせたのでした。

ほんとうに大きな父の愛でした。
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やさしく迎えてくれた法衣をまとった最勝院のクマちゃん。

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楽しく語らった東魁楼本館での特別北京ダックコース会食

東魁楼本館

残された母をたいせつにして、姉弟親族仲良く力を合わせて生きていきたいと思います。
 
 
ゆりこ

無事誕生日を迎えました。多くの皆様からあたたかいお祝いの言葉をいただき感激しています。

皆様、こんばんは。
日本初のモップメーカー日之出株式会社の松本ゆり子です。

今日お誕生日を迎え、67歳になりました。

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末娘夫婦からのプレゼントです。


大勢の皆様からあたたかいお祝いのメッセージをいただき、感激しています。
1949年7月12日、三重県度会郡小俣町、今の伊勢市の田舎町に生まれました。
ちょうど庭に百合の花がいっぱい咲いていたので、父が付けてくれた名前です。

父の仕事の関係で、四日市→伊勢→京都→伊勢→東京と移り住み、物心をついたのは京都でした。最初に覚えたのが京都弁で次が伊勢弁でしたので、方言に苦労し、ちょっと内気で口下手な少女時代でした。

進学や就職までは、ごくごく平凡に順調に過ごしたのですが、
結婚してからは結構波瀾がありました。

皆様もきっとそうなのだろうと思うのですが・・・

自分の家は普通だと思っていたのですが、
核家族の実家はとても自由だったのです。

テレビは歌番組か、父と一緒に時代劇や映画ばかりで、ホームドラマを見たことがなかったので、大家族の大変さなんて、未知の世界でした。

夫の父母、祖父母との三世代同居は、面食らうことばかりでした。
松本家の人々は、裏表の無いいい人ばかりなのですが、意見をはっきり言う家風でした。
父の言うことさえ聞いていれば平和な実家とは違って、
こちら立てればあちらが立たずと行ったことがしょっちゅうでした。

ある時、私のタンスの置き場をめぐって、家中で大喧嘩になり、
私は一言も意見を言っていなのに、「どうしてこうなるのだろう」と驚くばかりでした。
「船頭多くして船山に登る」とはこのことだと実感しました。

祖母からの毎日の小言にも神経がまいりました。
「年寄りは改められない、若いお前が合わせるしかない。」という主人の言葉に従って、なるべく祖母の良いところを探して好きになるよう努めました。自分のことを好いてくれる人のことはあまり嫌いにならないと思ったからでした。

祖母の認知症の介護、子どもの喘息等で、どこにも出かけられず、親友とも会えなかった10年間が、弱かった私を強くしてくれました。
あの時の経験があったからこそ、会社を経営することができたと思っています。

また、そんな日々を支えてくれたのが、そっと見守ってくれる実家の両親の愛と、若いころ読んだデール・カーネギーの「人を動かす」やアランの「幸福論」の考え方でした。

私に厳しかった祖母は、家族の名前がわからなくなっても、私の名前だけは忘れませんでした。いつも私の名前を呼んで、姿を追い求めてくれる祖母は、いつのまにか私の宝物になっていました。

その後も両親の看病や介護の他、人に言えない辛い経験もしましたが、良い友人に恵まれ、子育てや趣味やボランティアに打ち込むことができたのは仕合わせでした。

社長になってからも、いろいろな方に親切にしていただき、助けていただいたご恩は忘れられません。
何歳になっても人間は完成するものではありませんが、健康で少しでも人のお役に立てる良い人生を送りたいと願っています。
皆様、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 
ゆり子

愛の溢れる会社にしたいー人の悩みの80%は人間関係

皆様、こんにちは。
日本初のモップメーカー日之出株式会社の松本です。
愛の溢れる会社にしたい、そんな想いで努力してきましたが、一筋縄で行かないこともあります。適材適所での配置転換も褒めていただきましたが、実は心の問題での移動もありました。
人の悩みの80%は人間関係にあると聞いたことがあります。 どうしても相性の悪い人がいるのです。
前向きに考えて、その人の良いところを見てくださいと言っても、仕事だからと正論を押しつけても追い詰められてしまうことがあります。そういうときはその人が潰れてしまわないように一時的避難の意味も込めて、移動させます。
その代わり自分の選んだ道に責任を持ってもらいます。
夜遅く「もうダメです。」とメールが来た瞬間、製造担当と事務担当の入れ換えを決意したことがありました。各々得意分野を捨てて、新しいことをやるのですから、会社は損になります。とりあえず二人とも主任手当を返上(減給)して、再出発したのでした。
自分で選んだ道とはいえ、慣れないことばかりで大変だったと思いますが、ほんとうに頑張ってくれました。今では、その部署のエキスパートとして活躍しています。

時がたち仕事に自信がつくと、冷静にみられるようになります。
「あの人も悪気があったわけでなかった。」と、今では仲良くしているのが可笑しいです。

弱音を吐いて言ってくれるならいいのですが、自分一人で耐えて円形脱毛症になった人も、悪気の無い噂話に傷ついてやめた人もいます。ほんとうに人の心はデリケートです。
そんなわけで、日之出では噂話はしないようお願いしています。
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他人のことは話さないで、自分の趣味や子ども孫やネコや犬の自慢話など自分のことばかり話すので、賑やかで楽しそうです。

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それでも問題がある時は、問題の当事者を呼びズバリと話します。私は日之出のメンバー全員が大好きなので、たいていは心が通じて気をつけるようになってくれます。皆いろいろ癖や短所もありますが、基本的に真面目でいい人ばかりなので、年とともに人格が良くなっていくのが嬉しいです。

 
 
ゆりこ

愛の溢れる会社にしたいーアイディアボックス

皆様、こんにちは。
日本初のモップメーカー日之出株式会社の松本です。
アイディアボックスや配置転換のことなどを書きまして、愛の溢れる会社ですねとお褒めいただいたりしたのですが、最初からそうだったわけでありません。

「何でも好きなことを書いてね」と「アイディアボックス」を設置したのですが、当初は、無記名の誹謗中傷の投稿が何枚も出てきました。

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よそから引っ越してきて、豊橋の人は真面目で優秀だけど、PTAなどで意見を言う方が少ないと感じていました。でも人間ですから言いたいことはあるはずです。気軽に意見を言える風土を日之出に根付かせたかったのです。ガス抜きは必要ですから、驚きませんでしたが、無記名と人の悪口は禁止にしました。当然ですね(笑)
それ以外でしたら、どんな投稿でも1ポイント(500円)ー当時はポイント制でしたー差し上げることにしました。「どんなことを書いても笑いません。あとでこっそり笑います。」なんて冗談みたいに言いましたので、気軽に書いてくれました。

ある時、遠くの市外から来てくださった方がいました。大手の自動車シートを縫っていたエキスパートです。「近くにも縫製の仕事があったのに、わざわざ日之出を選んでくれたのはなぜ?」と聞いてみました。「アイディアボックスが気になったから。」だそうです。以前勤めていた大手工場は、福利厚生もしっかりしていたけれど、意見を聞いてくれるという雰囲気は無かったそうでした。小さなお子さんが二人もいるのに「二交代で朝6時から来てね。」と言われて、やむなくやめたそうです。
とてもきれいなお仕事をするおとなしい方で、ほとんど意見も投稿しなかったのですが、意見を聞いてくれるという安心感だけで良かったようでした。
三人目を産むことになって、さすがに通いきれなくなったのですが、しっかりとした仕事の手順書を書いて残してくれました。

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赤ちゃんが生れて、約束通り会社に見せに来てくださったのが嬉しかったです。
お母さんやお祖母さんの立場の人ばかりの日之出ですから、赤ちゃんを順番に抱っこして大騒ぎでした。そんなことも皆の楽しい思いでとなりました。

 
ゆりこ

「エクスマ=愛」実践して成功するのが講師の方々の願い!!

皆様、こんにちは。
日本初のモップメーカー日之出株式会社の松本です。

「 すべての出会いは 素晴らしい出会い. 協調.調和. 楽しんで.おもしろがろう! 」
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私のために書いてくださったメッセージが 言霊となって私の胸に響いてきます。
エクスマ東京塾71期が始まってからも、 毎日のように飛行機や新幹線に乗って あちこち講演に行かれる藤村先生! 中国にも行かれましたよね、 そんなお忙しい合間に、
71期16名の終了証書を、 一人一人に似合う言葉を考え、 デザイン、額装してアートにして・・・ しかも手書(描)きで・・・
いつ書(描)いてくださったのか 見当もつきません。
Facebookやツイッター、ブログ等で、
自分が発信する以上に、他の人の投稿を
見て、いいね!やコメント、リツイートする
ようにご指導していただいた私達は、
藤村先生や講師の方々を追いかけ、
行動が丸見えなのです。

SNSでの発信は、単純のようで深い
慣れないブログを毎日書くなど、
正直なかなか大変なのだけれど、
苦しくはない・・・
楽しむことが基本だから

もっと忙しい講師の方々が
毎日をブログを書き、SNSで発信
塾生のブログ、発信を読み・・・
コメントに返事をくれる。

セミナー三回目、ゆかりんがツイッターの
講義を2時間、短パン社長が2時間15分
ぶっ通しで話し、「塾が終了したら二度と
口も聞かないからね!」と言ったことが
忘れられない。

一期一会の気迫を感じ・・・ 気持ちが引き締まった。 ハッピーやかっちゃんが、
皆のSNSにビシバシメスを入れて
プロフィールをその場で変えた人も・・・

そうなんだ!習うよりも慣れろ 何より実践なのだ
講師の方々の半端ない情熱が伝わった とびきり熱い、ほとばしる愛を感じた だから皆頑張れたし 胸に温かいものが残った。
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絆が生まれた
塾生が実践して成功するのが 講師の方々の願い
”愛”には”愛”で答えるしかない 楽しく実践し続けたいと思います。
 
ゆりこ
ブックマーク
松本百合子

日之出株式会社

有限会社ダストクリーン

Otomeショップ